2011年07月14日

0マン・2

0マン・2



この「0マン」の単行本は「B4」サイズの大きな物で、「少年サンデー」に連載されていた当時と同じ大きさの物です。

連載当時に刊行されたものよりも、かなり大きなサイズのものです。当時のものは「小学館」特有の「銀本」と言うもので「銀色」の本でした。

「電子冷凍機」やら「ブッコワース光線砲」などさながら百鬼夜行の如く出て来る兵器の数々の素晴らしさは例えようも有りません。「手塚SFの醍醐味この一遍に有り」と申しても宜しいかと思います。

事実、「手塚治虫」自身もこの「0マン」は大変なお気に入りの作品でした。「手塚治虫」自身がこの当時「自分の好きな作品」として揚げた「2作品」の片割れなのです。

もう一つは、「ジャングル大帝」。・・・ちなみに「レオ」をひっくり返すと「オレ」になりますでしょう、これは「手塚治虫」の「隠し言葉」ですから・・・。

「手塚治虫」は自身の「沸きいずる泉」の如くの才能で私達に「明るい未来」を見せてくれました。

「未来はボクが創る」・・・これは、「COM」に参画していた若い連中(末席にこの私も参列)の前で、よく仰っておりましたね。当時(「COM」の頃はウルトラセブンの頃)は少々くたびれて来ていたのが判りましたが、兎にも角にも「手塚治虫」、常に「読者」の事を思いながら作品を創って下さっておりました。
「面白ければそれで良い」と言う「暴力的内容」のマンガは毛虫の如く嫌悪しておりました。実際には「手塚治虫」は「虫」の字が付いているのに「毛虫」は大キライ・・・と言う変な面もありましたが・・・。

「暴力は何も生み出さない」「暴力的作品は宜しくない」・・・こう言う「教え・おしえ」を私達「手塚系」の者は終生の教訓として守っているのです。

だから、「暴力マンガ」は認めないのです。

元々人間は「悪しき生き物」なのです。常に好戦的に「血」や「争い」を求めているのですが、人類が他の生物と違った特性「理性」のお陰でそれを封じているのです。

「血」や「争い」は求めてはいけないのです。しかし、「邪悪なる心の持ち主」は常に存在し、「争い」を求めようと画策します。

「読者が求めている」式の「自由の履き違え」に乗ってはならぬのです。

「暴力的マンガ」は人間である以上「面白い」と感じても仕方はないのですが、同時に「これは良くない」と思えば良いのです。

・・・といっても、これは巨人「手塚治虫」をしてず~~と苦しませて来た大問題(俗悪マンガ云々の事)なので、そう簡単に解決する問題では有りませんがネ。

話は少々それる事になりますが、「刀牙」の「板垣恵介」のアシスタントが「どげせん」という「土下座マンガ」を連載しておりますね。

いくら「アシスタント」とは言え、あの恐ろしいまでの「格闘技マンガ」の「刀牙」からえらい「変身」ですね。
何故でしょう?

気分をガラリと変えたい・・・と言う感じなのでしょうが、「暴力」に対する「反省」と「懺悔」の気持ちが多分にあるのでしょうね。

「暴力的内容」のマンガは何か虚しい・・・と言う事に気付いていたのでしょう。
そのとうりなのです。「暴力」は虚しいのですよ。

0マン・2



「0マン・3」に続く・・・。



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